ナゴヤキャッスルの歴史

創業当時のベンチャー精神とゲストのために一丸となる、強靱なチーム力。ナゴヤキャッスルのDNAは、こうして生まれた。

1956年4月1日、名古屋駅前に新しい時代の風が吹いた。毎日名古屋会館の上層階にオープンした「ホテルニューナゴヤ」。全客室にエアコンと防音装置、浴室、テレビジョンが付けられ、当時の名古屋のホテル業界にはない、贅を極めたしつらえは世間を驚かせた。
創設に関わったのは、中部の名だたる財界人たち。その根底にあったのは「戦後、名古屋の復興のシンボルとして、世界に通用する国際レベルのホテルをつくろう」という熱い思いだった。共通した思いをベースに人々が集まり、新しい事業を展開する。今で言う「ベンチャービジネス」の先駆けでもあった。

13年後の1969年、そのベンチャーマインドは名古屋城の天守閣を借景にした地で、新たなホテルづくりに挑む。創業時からの「一流のホテルを作ろう」という思いは、斬新で画期的なアイデアとして具現化される。
外壁に添って昇降する日本初の展望エレベーター、最高の音響設備を施した240坪の巨大宴会場、一時間に360度まわる回転バー、客室はもちろん、レストランもスカイラウンジも名古屋城が一望できる配置にするなど、その試みは「地味で堅実」と言われる名古屋のイメージを軽やかに塗り替え、連日連夜、大勢のゲストが押し寄せた。

当時はちょうど高度経済成長のまっただ中。贅沢、ときめき、洋の空間への憧れなど、このホテルは人々のニーズを満たすのに、絶好のステージだったのだ。この時、培われたのが、豊かな創造性とスタッフの強靱なチーム力である。初めていらっしゃるゲストはもちろん、二度、三度と訪れるリピーターへの満足度を高めるためにも、スタッフは常に新しいサプライズを用意する必要があり、ベテランだけの発想では追いつかず、若手スタッフの意見もどんどん採用されていった。
「どうしたら、お客様に喜んでいただけるのか」
「どうしたら、お客様に満足していただけるのか」

ホスピタリティの実現に向けて、脳と身体を200%フル稼働させるような毎日。
宴会が重なれば、フロントスタッフも事務スタッフも、瞬時にサービススタッフの制服に着替えて宴会場に立った。それがナゴヤキャッスル伝統の「ヘルプ制度」が生まれた背景である。
普段はそれぞれの持ち場で働くスタッフが、いざという時には集結し、セクションの壁を越え、家族のように一丸となってホスピタリティをフル稼働させる。その積み重ねが、やがてナゴヤキャッスルの個性となっていった。

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80年代に入り、名古屋駅前というロケーションを生かしたシティーホテル「キャッスルプラザ」の開業をはじめ、中部圏最大の宴会場である「天守の間」のオープンやフィットネスクラブの創設など、時代のニーズに合わせて、急速な進化を遂げてゆく。
その一方で、華々しさを追い求めるだけではない、普遍的なサービスマインドの確立にも心を砕いた。名古屋という土地は信頼を得るまでには時間はかかるが、一旦、心が通い合うと、深い絆で結ばれる気質がある。それゆえ、ゲストからの信頼を保ち続けることがいかに大切か、スタッフは肌で感じていたに違いない。
いつもの笑顔、いつものもてなし、いつものくつろぎを提供すべく、いつの間にか社内に「ゲストもキャッスルファミリーの一員」という価値観が浸透していった。

そこに、新たな流れが注がれたのは2000年のこと。
世界のスターウッドホテル&リゾーツのホテルブランド「ウェスティン」と業務提携し、一期一会の心を重んじる「和」のもてなしと、グローバルな品質基準を誇る、洗練されたオペレーションが融合。
「ウェスティンナゴヤキャッスル」という新たな個性が育まれていく。

和と洋。伝統と革新。洗練とぬくもり。長い歴史の中で育まれていった、ナゴヤキャッスルの複合的な個性。それが試されたのが、2005年愛知県で開かれた日本国際博覧会「愛・地球博」である。ナゴヤキャッスルは国内外の賓客をもてなす迎賓館とレセプションホールの運営を託され、これまで培ってきたチーム力を国際交流の舞台で発揮。そのミッションを見事にクリアした。
その後、ダイニング&バー「Blue'dge」、会社設立60周年を記念した「Baron the steak」と、創業の地である名古屋駅前に次々と新店舗を展開。それは「創業当時のベンチャー精神を思い出し、新たな進化を目指す」という、誇り高くも謙虚な意思表示である。
進化に向けた創造性が強靱なチーム力を生み、そのチーム力が新たな創造性を呼び覚ます。この「にわとりとたまご」のような関係性こそ、
ナゴヤキャッスルの本質的なDNAであり、その原動力は昔も今も、ゲストの歓びや幸せにある。